ESSAY
平衡世界:
美術館で培ってきた知と倫理をアートマーケットに注入する
保坂健二朗
「平衡世界(Worlds in Balance)」展について語ろうとするこのテキストでは、主語を明確にする必要がある。なぜなら、本展が採用した形式に先例がない以上、私はキュレーターとして、多くの人の助けを得ながらも、主体的に道を探し、判断する必要があったからだ。
この展覧会の目的はふたつある。
ひとつは、戦後の日本のアートを、ジャンル間の縄張り意識が根強い日本の美術館では決して容易ではないボーダレスなアプローチで見せることにより、美術館の常設(コレクションの展示)の在り方に問題提起を行うこと、である。作品を選び、章を構成していく際に採用したのが「系譜」という方法であり「平衡世界」というコンセプトである。
もうひとつは、単なる展覧会ともアートフェアとも異なる、これまでになかったセールス・プラットフォーム(出品作品すべてが買える場としての展覧会)を実験的につくってみることを通じて、オルタナティヴなキュレーションの可能性を、あるいは、現在の世界におけるキュレーターの存在意義を提示すること、である。
アートシーンを動かすアクターが、美術館という研究・収集・保存・教育・展示の場から、オークションハウスやアートフェアという作品売買の場に移ったとしばしば言われる。美術館にも収集という機能がある以上、売買の場とは不即不離の関係にあったが、その関係性は他の機能に隠れて見えづらくなっていたし、距離を取ることがよしとすらされていた。しかし、そうこうしているうちに、資本主義の特性を考えればこの変化は必然なのだが、マーケットは美術館を飲み込むほどまでに拡張してしまった。コマーシャル・ギャラリーは、これまで美術館や大学の領分であったアーカイヴの形成に乗り出し、メガギャラリーともなると、広大な展示室だけでなく、出版や教育部門まで有するようになってきた。そんなギャラリーで開催される展覧会が、作品売買からなる経営基盤に支えられて無料であるならば、アートラバーたちの足がどこに向かうかは言を俟たない。
この変化と軌を一にするように、コレクターたちは、世界各地で開催されるアートフェアに足を運び(その際美術館にも立ち寄り)、自らの審美眼を養い、各々がアートに対する独自の理論を形成するようになった。そして、一部のコレクターたちは、自分のコレクションを展示するための空間を美術館として自ら設立し、そのラグジュアリーかつインティメイトな空間は、多くの人の関心を呼ぶようになる。
この状況を1960年代にすでに予見していた人物がいる。ハンナ・アレントだ。1958年の『人間の条件』、1961年の『過去と未来の間』、1963年の『革命について』を、美術作品をキーワードに読み進めていくと実に面白い。アレントによれば、「労働する動物(animallaborans)」が勝利し、すべての行為が労働(labor)と消費に集約されていく中で、本来消費どころか使用の対象ですらなかった美術作品が、消費されるようになった。その傾向を、エピゴーネンたちが亜流とも言える作品をつくることで強化する。裕福になった人たちは、周りから敬意を集められるような趣味を覚えていったが、その際にも、商品のように手軽に手に入れることで満足した。公共空間で自己を主張することを通じて敬意を獲得するのではなくて、自分の家で贅沢な消費を公開して、自らの富を誇示し、本来は公開すべきではない私的な趣味、私的な空間を衆目に晒すことを望んだ。そうやって、この世界から、私的領域と公的領域の境界がなくなっていく……。*
この状況に対して、美術館に属するキュレーターは――それこそアレントが言うところのアクションとして――効果的なカウンターを出す必要がある。公的な場における美術作品の展示とはなにか。個人的趣味によらずに作品を選び展示することの意味はなにかを、効果的な実践をもって提示する責任がある。なお、ここで言う「個人的趣味」には、キュレーターの専門性も含まれるとあえて言っておきたい(自分の専門以外の作品に対して根拠のない厳しさを持っているキュレーターが、特に日本では相当数存在している)。
話を元に戻そう。カウンターパンチは同じフィールドの中で繰り出してこそ意味を成す。リングの外でパンチの素振りをしてみても、関係者以外は誰も見てくれない。もちろん、相手は強大だし、フィールド自体が相手の領域である。でも、だからといって諦めてはいけない。あのヤン・フートが、1999年にゲント現代美術館のオープニングの際に行った伝説のパフォーマンス、《Fight for Art》を思い出そう。63歳のキュレーターにしてディレクターが、37歳のアーティストと、衆目の中、ボクシングを行ったのだ。彼が身をもって挺したように、アートのためには、自らの非力を承知の上でパンチを出さなければならない時がある。私にとっては、今回の展覧会がまさにそれだった。
冒頭で述べたように、この展覧会では「系譜学(genealogy)」の考え方を導入している。それは端的に言えば、テーマに時間軸を導入し、テーマの圏内での複数の事例を追えるよう平衡世界:美術館で培ってきた知と倫理をアートマーケットに注入する保坂健二朗8 9にすることで、事物の相互関連の中でなにが変わり、なにが変わらないかを浮かび上がらせようとするものである。その際、作家間や作品同士の間に明確な影響関係がなくともかまわない。むしろ、直接的な関係がない作品同士に連続と変化が見えるほうが、そのテーマの特性が浮かび上がってくることになる。
メインテーマに含まれている「平衡」とは、物質と非物質、デザインと絵画など、ふたつあるいはそれ以上の項の間に、緊張感を持ったバランスを求める姿勢のことである。19世紀後半に近代化して以降の日本のアートを十全に理解するためには、日本のアーティストは平衡の状態を自ら生み出すとともにそれを洗練させていく傾向があることを確認しなければならないという私自身の仮説に立っている。「02 アート・オア・クラフト」の章解説に書いたように、近代化の中で西洋からアート=美術という概念が新たに輸入され、それに伴い、工芸というそれまでにもあった概念が、変容を遂げつつ、定着していった。こうした歴史を持つ日本のアートは、常に、Aを考える時に、それと隣接する概念であるBとの間のバランスを取りながら、形式や内容が決定されていく傾向がある。
しかし、ふたつの項の間でのバランスを求めるというのは、日本のアートでは、ある特定の項の徹底的な追究がなされることはあまりないということでもある。それゆえ、身体を軸に豊かなヴォリュームを表現するアリスティド・マイヨールのような作品はなかなかあらわれず、それよりも、ヴォリュームをマッスとの関係の精査(八木一夫)や、閉じた形と開口部の関係がいかに空間を生むかについての探求(堀内正和や磯崎新)に基づく作品が生まれることになる(磯崎新であれば、バランスではなくて、それもまた「間(MA)」として捉えるべきだと言ったかもしれない)。
そうした「平衡世界」で生まれる作品は、ともすれば、物静かな印象を与えるだろう。非平衡系熱力学の研究者であるイリヤ・プリゴジンの議論を思い出せばわかるように、平衡よりも非平衡のほうが、閉鎖系よりも開放系のほうが、アートというクリエイション(創造性)の説明としては活き活きとしていて望ましい。広大な宇宙の中の地球という系において生命が生まれるきっかけとなったゆらぎ、アートはそれになぞらえることのできる現象なのだとする議論のほうが、夢がある。
しかし、己の活動がゆらぎによる創発の発火点になり得るなどと考えることなく、自らの立ち位置を、常になにかとなにかとのバランスの中に定め、その緊張関係から価値が生成することもあると考える姿勢は、今後の世界に対して示唆的たり得るのではないか。確かに、脱中心化(ミシェル・フーコー)が提唱される中でも、なおも中心であることを望むアクターは存在する。しかもそのアクターはなかなかにパワフルである。そうした状況を認めつつも、私は、楽観的に過ぎるかもしれないが、たとえば菅木志雄の作品がここ10年以上アートマーケットで世界中から強い関心を集めていることに、コレクターたちの中に潜む良心を見るようで安心するのである。自然と人工の相補的な関係をシンプルかつコンパクトな形で提示してくれる菅の作品は、どこでも成立する禅の庭のようなものだ。壁掛けの小さな作品でも小規模のインスタレーションでも、それは私たちを、この世界の、そして宇宙の構造への洞察へと誘う。彼の作品とその受容は、バランスを求める技術(テクネー)を洗練させていく日本のアートの特徴に意味があることを証明してくれている、そう私は感じている。