髙橋 銑
b. 1992
ART WEEK TOKYO | NOVEMBER 2–5, 2023
セクション 08
日本では、1876年にヴィンチェンツォ・ラグーザが、国立の美術教育機関の教員として招かれて以来、石膏原型+ブロンズ鋳造というスタイルが一気に広まった。その結果として生まれてしまったのが、宗教彫刻や装飾彫刻の流れを汲む木彫との対立である。彫刻家が金属/木のどちらかを選ぶと、自ずと、モダン/伝統、ムーヴマン/ディテール、個性/宗教性、モニュメンタリティ/装飾性の一方を引き受けることにもなってしまうのだった。高村光太郎のように両方を手掛けたとしても、各々で表現することは全く異なり、超克しようとする意志は確認できない。戦後になると、植木茂や豊福知徳のように、木で幾何学的、構築的な表現を試みるケースも出てくる。
そうした中で全く違う可能性を見せつけたのが勅使河原蒼風である。いけばなの世界に育った彼は、戦前においてすでに、いけばなといえども植物以外の素材を積極的に取り入れるべきだと訴えていた。それに対する自らの回答が、1950年代に発表された、樹塊的な物体の表面を薄い金属で覆った立体作品なのであろう(cat. no. 52)。こうして、金属と木とを共存させる道が拓かれたのである。