AWT
VIDEO
飛行機雲か山脈か
監修:ソフラブ・モヘビ
飛行機雲か山脈か
監修:ソフラブ・モヘビ
「AWT VIDEO」は、海外を拠点に活躍するキュレーターが厳選した映像作品を上映するビデオプログラムです。出入り自由なパブリックスペースの特設会場で、誰でも無料で作品を鑑賞できます。2024年はニューヨークのスカルプチャーセンターのディレクターを務めるソフラブ・モヘビが監修。「飛行機雲か山脈か」と題し、13名のアーティストによる14作品を上映します。
監修者ステートメント
積雲の時間と墓地の時間はどのように交わるのか? あるいは芍薬の時間と溶岩の時間は? 儀式や慣習は、時間やその集団的体験に形を与え、一時的に同調させる装置である。それは人間の時間と宇宙の時間との横断を可能にし、皮膚と星々を、思考と巨礫とを結びつける。デジタル化された時間は、私たちの時間体験を解体する。そうして生み出された共存する時間性は、様々な経路を通じて消え去り、絶えずわずかな同期のずれをつくり出す(海景の一瞬、冠水した村落の一瞬、クリームブリュレの一瞬、爆弾跡の一瞬……)。他方、人間活動の大半を回すために採掘した、先史時代より堆積する生体物質を燃焼することへの過度の依存は、不確かな未来を描き出し、現在生きているすべての生命体を危険に晒している。ばらばらに解体された現在やその不安定な時間性は、「共にある」ための儀式や長く続いてきた様式を断絶すると同時に集団性の新しい形式を想像させる。
本年のAWT VIDEOは、アートを存在のための儀式を移行する場としてだけでなく、新たな共存のための形態を模索する場としても考えていく。「飛行機雲か山脈か」と尋ねる者がいた。同一のカテゴリーに属さない比較困難に見える問いだが、何よりもまず、それは本プログラムの作品群が刻む時間の風景の崩壊を物語るものである。それはどこか詩人のレイ・アーマントラウトが「Simply」(『Go Figure』、2024年)で問うたものに似ていなくもない。「最古の祖先は/加速者だった。/彼らは変化を食した。/私たちはどうなるのだろうか?」
出展作家
出展作家
岩根愛
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NO MAN EVER STEPS IN THE SAME RIVER TWICE
2020
Digital color video, with sound
11’45”溶岩流が飲み込む日本人移民一世たちの墓地
「最後のサトウキビ農園」に隠れる墓地
潮に流され砂に埋まる浜の墓地
ハワイの墓地を守る人たちの語りを軸に、
2018年に発生した大規模溶岩流の川が流れる。
──岩根愛
ハワイと福島という2つの土地の歴史と文化をリサーチし、薄れゆく過去の記憶と今を生きる人々の営みを可視化させてきた岩根は、100年という単位で過去と今の世界を深く見つめることができたと語る。サトウキビ畑に幻影のように現れる亡き移住者の姿や、2018年に発生したハワイの大規模溶岩流の風景とつながるように、原発事故により故郷を離れざるを得なくなった福島の人々の存在が思い起こされるだろう。
*本作は3面プロジェクション用に制作されたものを再編集しています。
作家について
1991年に渡米、カリフォルニア州ペトロリアハイスクールに留学し、オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。帰国後、1996年より写真家として活動を始める。離れた土地の見えないつながりを発見する精力的なフィールドワークをベースに、コミュニティが拠りどころとする自然伝承や無形文化を紐解き、写真・映像インスタレーション作品に取り組む。ドキュメンタリー映画『盆唄』(中江裕司監督作品、2018年)を企画、アソシエイト・プロデューサーを務めるなど活動は多岐にわたる。第44回木村伊兵衛写真賞、第44回伊奈信男賞、第3回プリピクテジャパンアワード等受賞。作品集に『KIPUKA』(2018年、青幻舎)、『A NEW RIVER』(2020年、bookshop M)、著作に『キプカへの旅』(2019年、太田出版)等がある。
加藤翼
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BREAK IT BEFORE IT’S BROKEN
2015
Digital color video, with sound
4’49”加藤は2015年、マレーシアのサバ州で政府からの立ち退き指示に直面する無国籍難民のコミュニティと協働し、このパフォーマンスを制作した。コミュニティのリーダーに対して、作家は「家が壊される前に何かを壊しませんか?」と尋ねたという。その後、彼女らの家の一部と交換した木材やトタン波板を使用し、取り壊しが計画された家屋に似せた構造体がつくられた。このパフォーマンスはコミュニティの強制的な移動を象徴している。構造体を動かしにくいのはその重さだけでなく、地面との摩擦も影響する。引っ張る力が摩擦力を超えると、構造物は持ち上がり、位置エネルギーを得る。さらに上昇し落下すると、このエネルギーは運動エネルギーに変わり、衝突時の破壊エネルギーと、壊れる時の音響エネルギーになる。
作家について
1984年埼玉県生まれ。パフォーマンス、構造体、映像を用いた作品で知られ、グループによる共同実践を特徴とする。代表作「Pull and Raise/Topple」は参加者と共に大きな構造体を動かし、一連のパフォーマンスは集団と個人のカタルシスやジレンマを描写する。2011年福島での「11.3 PROJECT」以降、コミュニティの分断に焦点を当て、対馬の無人島で韓国人男性と協働する《言葉が通じない》(2014年)、ロープで縛られながらアメリカ国歌を演奏する《Woodstock 2017》(2017年)、香港で匿名の告白をシュレッダーにかける《Superstring Secrets: Hong Kong》(2020年)など、異なる時間と離れた場所で発揮されうる共鳴力について探求する。
エドガー・カレル
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AT NU JUKUKEMPE BIK’IN – TE TRAIGO ARRASTRANDO CONMIGO (I’M DRAGGING YOU ALONG WITH ME)
2015
Digital color video, with sound
2’07”「この作品は私の旅路や歴史、また現代および神聖な時間において、いま存在し生きることの重みと責任を示すものです。自分が歩む場所について考えたとき、木々の音や鳥のさえずりと共に多くの扉が開いたことに気づきました。同時に、自分たちでつくり出した別の扉のことも考えました。私が抱える物語の枝葉もアウラも通さず、ただ身体のみが入っていく扉です。私は呼吸し、歩き、考え、疲れ、アリの心臓の響きに触発されながら前へ進みます」(カレル)
ひとりの男性が、深い淵の底から木を髪に結んで引きずり出し、斜めに伸びる道を歩き始める。その旅路で出会うのは、静けさ、恐怖、孤独、歴史、記憶、苦痛、そして詩である。急がず、止まらず、つまずきかけても、贈り物の花束を腕に抱えて進む。足元の大地を感じ、土から引き抜いたトウモロコシの根で顔を覆った彼は、心中でこう語る。「kamin si in yin ri ik k’o bik’ in(今こそ、私は本当に私自身である)」。
作家について
1987年、グアテマラ、チ・ショット(サン・フアン・コマラパ)生まれ。ラファエル・ロドリゲス・パディージャ国立造形美術学校で学んだ後、さまざまなメディアを用いて制作を行い、先住民族の経験の複雑性を探究している。マヤのカクチケル民族の宇宙観、精神性、儀式、共同体の慣習や信仰と、グアテマラの先住民族が日々直面する構造化された差別や排斥とを、並置するような表現で知られる。
笹本晃
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天気バー予報#2
2021
Digital color video, with sound
3ʼ55”「このバーは、もの悲しげな客、ひとりで来た客、あるいは数人の団体にもサービスを提供するものである……天気予報が進むにつれて科学と神秘は融合し、そこには近頃の異常な世界情勢や気候変動に対する風刺も多分に含まれていく」(笹本)
本作では、テレビの天気予報とカクテルバーというかけ離れた要素の掛け合わせが、笹本による快活なナレーションと、彼女のパフォーマンスで展開される。それは生態系(エコシステム)が、人間社会における自然現象から地球規模にまで及ぶ広がりを持つものであることを示している。「本日のスペシャル:オレンジの竜巻」を作るバーテンダーの笹本が轆轤(ろくろ)に乗せたアルコール飲料に点火し、金網製の円筒を被せて素早く回転させると、炎は捻れて竜巻となっていく。
作家について
1980年生まれ。ニューヨークを拠点に活動し、パフォーマンス、彫刻、ダンス、ビデオなどを手がける。ビデオ作品はパフォーマンスやインスタレーションから発展することも多い。身体の動きと話し言葉を組み合わせた即興的なパフォーマンスは、彫刻的に加工されたファウンド・オブジェクトの緻密な配置とともに展開され、繰り返される動きのなかで、次第にその意味が増幅していく。主な個展にパラサイト(2024年、香港)、クイーンズ美術館(2023、ニューヨーク)、スカルプチャー・センター(2016年、ニューヨーク)など。主な国際展に第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2022年)、国際芸術祭「あいち2022」、釡山ビエンナーレ(2022年)、コチ=ムジリス・ビエンナーレ(2016年)、横浜トリエンナーレ(2008年)など。
ティシャン・スー
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グラス-スクリーン-スキン
2022
Digital color video, with sound
2ʼ24”このビデオ作品は、壁面を覆うデジタル印刷画像を前にした鑑賞者が、携帯デバイスを介してその映像世界へ接続するという大作の一部である。鑑賞者が読み込むQRコードは「二次元」「バーチャル」という2つの次元をつなぎ、ハイブリッドなオブジェを生み出す。映像に現れる「リアル」は、アルミ製メッシュスクリーンの穴から伸びる生きた草で構成される。それはアーティストが湿地に種を蒔き、時間をかけて育てたもので、映像はメッシュスクリーン上の草とその水中部分をとらえる。草の成長の生態系に入り込んだ顕微鏡用カメラの映像は、自然のアッサンブラージュとして抽象化されていく。さらに人の身体部位のイメージが埋め込まれ、作品名につながるような連続体をつくり出す。「肌」はデバイスを持つ鑑賞者の手にも存在するため、これらすべてから成るオブジェが形成されることになる。アーティストはここで、自然界の文脈に組み込まれ、具現化されたテクノロジーを描写しようとしている。
作家について
ボストン生まれ。幼少期をスイスのチューリッヒや、アメリカのウィスコンシン、バージニア、ニューヨーク各州で過ごす。マサチューセッツ工科大学にて1973年に建築デザイン学士を、1975年に建築学の修士号を取得。1979年にニューヨークに拠点を移し、パット・ハーン・ギャラリーで初展示を経験。1985年以来、欧米およびメキシコ、アジアの各地で展示を重ね、数々のコレクションに作品が収蔵されてきた。1988年から1990年にはケルンを、2014年から2016年には上海を拠点とした。これまでジュネーヴ近現代美術館(2024年)、セセッション館(2023-2024年、ウィーン)、ハマー美術館(2021年、ロサンゼルス)、スカルプチャー・センター(2020-2021年、ニューヨーク)、MITリスト・ビジュアルアーツ・センター(1988年、ケンブリッジ)、カーネギーメロン大学アートギャラリー(1987年、ピッツバーグ)などで個展を行っている。
ティントン・チャン
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THE BLUE WAVE WOMEN
2022
Digital color video, with sound
9’54”本作において、チャンは作曲家のタクチャン・ホイと共同で、韓国・済州島の複数の伝統的な民謡を収集して組み合わせ、また漁網、浮標、貝殻、石などから独特の楽器をつくり上げた。一方で、ダンサーたちと共に韓国の伝統舞踊と現代のダンスを融合させ、人間の起源、誕生、死といった「穴」の持つ重層的な意味を表現している。物語の糸を形成するのは2つの主要なイメージである。前半では、穴は母胎として、また身体–器–生命の象徴として映し出される。洞窟の中のダンサーたちは、済州島に伝わる「三姓神話」における、碧浪国(へきろうこく)から来た 3 人の王女を表している。いずれも母であり、穴を象徴する女性の身体でもある。続く後半は、穴の中の蛇を中心に展開する。儀式の中で、ダンサーの役割は母から生け贄へと変化し、穴は肉を引き裂く口として描かれる。穴の中で女性の役割が交互に変化する様を通じて、鑑賞者は現代の神話を垣間見るだろう。
作家について
1982年台湾生まれ、台北在住。不条理で非理論的な社会や、消費主義の現代社会が与える社会的、生態的影響など、あらゆる問題を提議する作品を制作。ドローイングやパフォーマンス、立体、映像など様々な手法により、科学やテクノロジー、歴史など、自身を取り巻く世界を解体・融合させて作品化している。
蜷川実花 with EiM
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胡蝶
2024
Digital color video, with sound
5’58”蜷川とクリエイティブチーム「EiM(Eternity in a Moment)」が、能楽師の鵜澤久とコラボレートした映像作品。本作は人々の心象風景と未来をつなぐ能の舞台装置としての役割を持ち、その中で能の演目「胡蝶」後半が上演される。鵜澤が演じるのは蝶の精霊。花々に心を寄せる蝶も、寒中の梅花には縁がなく、その悲しみの救済を願い僧の前に現れる。多層的なスクリーンの間を演者が行き来する様子は夢幻の間の蝶をイメージし、映像は能面や衣装にも投影されて蝶の情感を表現する。蝶が四季の花々をめぐる場面では情景がダイナミックに変化し、季節は春から冬へ。喜びの舞にも終わりが訪れ、また春がめぐり、蝶は夢幻の霞のなかへと飛び去っていく。なお映像に登場する花々は、日常のなかで撮影された。蝶は夢と現実をつなぎ、未来の可能性の象徴でもある。胡蝶の夢から戻った人々は、この先どのように歩むのか。それぞれが未来へのイメージを結ぶことも、本作の重要な鑑賞体験となる。
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SANCTUARY OF BLOSSOMS
2024
Digital color video, with sound
8’09”人に寄り添うよう咲き誇る花々と、多様な姿で朽ち・枯れゆく花々。本作は、この2つの空間を中心に展開する。聖域のような安心できる空間と、死への時間が流れる空間は、虚構と現実のコントラストのみを示しているわけではない。例えば幼児が人格形成するうえでは、両親や重要な他者との関係、安心できる領域が大切になる。彼らはその空間を起点に境界を広げ、多様な経験を通じて世界と関係を結んでいく。一方、デジタル環境に飲み込まれている現代、ときに人々は過剰なコンフォートゾーンに漬け込まれてしまう。理解し難いものをただいたずらに遠ざける行為は分断をも生む。それを避けるためには、境界の外側を知ることも重要になるだろう。自身の大切なものを知り、未知や違和感あるものとどう向き合い、歩んでいくのか。本作は、人生や世界の移ろいを反映し、咲く花の美しさと衰退が対立するのではなく補完し合い、独自の美と希望につながることを示している。
作家について
蜷川実花は写真家、映画監督。写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手がける。クリエイティブチーム「EiM(Eternity in a Moment)」の一員としても活動する。木村伊兵衛写真賞ほか、受賞多数。写真集に『MIKA NINAGAWA』(2010年、Rizzoli New York)、『花、瞬く光』(2022年、河出書房新社)など、映画監督としての作品に『ヘルタースケルター』(2012年)、『Diner ダイナー』(2019年)ほか長編5作、Netflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』(2020年)などがある。近年の個展は「蜷川実花展 : Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」TOKYO NODE(2023-2024年、東京)、「蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界」弘前れんが倉庫美術館(2024年、青森)ほか。2025年1月11日より、京都市京セラ美術館にて個展を予定。
https://mikaninagawa.com
野沢 裕
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鳥→◯
2023
Digital color video, with sound
3’51”鏡に映る風景に
鳥が通過するのを待っている
それまでの間、防波堤と砂浜と
鏡に映る青を眺める
──野沢裕
野沢裕は、あたりまえに通り過ぎてしまうような情景に、少しだけ手を加えることで独特の風景をユーモラスに演出する作品で知られる。写真や映像によってサンプリングされたその表現は、始まりも終わりもない時間のループを生み出していく。本作は、海辺の防波堤を思わせる場所に置かれた丸鏡とそこに映る空を、固定カメラでとらえた映像からなる。
*野沢はAWT VIDEOへの出展に加え、KAYOKOYUKIギャラリー(駒込)での個展「□□」を開催。
作家について
1983年静岡県生まれ、同地在住。東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。2014 年にIED デザイン大学マドリード校にて MFA(写真)取得。近年の個展に「山脈」void+(2023年、東京)、「≠」KAYOKOYUKI(2017年、東京)、「L」UTRECHT(2015年、東京)、「→■←」Intercambiador ACART(2014年、マドリード)など。参加展に「Condo London 2024」Sadie Coles HQ(2024年、ロンドン)、「“Triunfo y poesía…” International Exhibition of experimental Video」Galería Santa Fe – La Decanatura(2014年、ボゴタ)、「むすびじゅつ」静岡県立美術館(2013年)などがある。またワークショップ「一 く w 八 L ニ」静岡県立美術館(2015年)、プロジェクト「PORTFOLIO DAYS & NIGHT – A Place for Contemporary Photography」Centre national de l’audiovisuel (CNA)(2014年、ルクセンブルク)などにも参加。
http://www.yutakanozawa.com/
廣 直高
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サーフェイス・オン・イット
2007
Super-8 film transferred to digital video, no sound
03’20”, loop2007年の個展「何も知らない」(MISAKO & ROSEN、東京)で発表された映像作品。「自分の身体の内側を自分自身で確認する手段がない」「自らの目で確認することには限界があり、それを前提としながらも未知や無知の世界を探る」。こうした観点は、廣のキャリアの初期から現在までの作品に通底するものと言え、この時期はその表現手法として特に映像が多く用いられた。頭蓋骨をモチーフにした一連のシリーズでは、頭蓋骨の本体・内側・外側に対して、作家が鑑賞や触覚を通じたアプローチを行い「永遠に見ることのできない身体部位を想像する」試みを重ねた。本作では、触覚を通じた外側・表面へのアプローチと、実は頭蓋骨はのっぺりとした肉がのせられた、ただの台座であるという暗喩が現れている。
作家について
1972年大阪府生まれ、ロサンゼルス拠点。近年の展覧会に、個展「Sand-man」ボルトラミ(2022年、ニューヨーク)、「New Abstracts: Recent Acquisitions」ロサンゼルス・カウンティ美術館(2022年)、「Shadow Tracer: Works on Paper」アスペン美術館(2022年)、「Disturbances in the Field」 ネバダ美術館(2021年)などがある。作品はニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館(ニューヨーク)、ロサンゼルス現代美術館、ハマー美術館(ロセンゼルス )、サンタバーバラ美術館、国立国際美術館(大阪)に収蔵されている。
三宅砂織
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SEASCAPE (SUZU) 2
2024
Digital black and white video, no sound
11’00”本作は、2024年1月1日の震災に見舞われた石川県珠洲市の風景をモチーフとしている。作家は同地で2019年から2021年にかけて参加したプロジェクト「珠洲の大蔵ざらえ」の際に撮影した風景と、地元住民から寄贈を受けた写真を見直しながら制作を行なった。それは、能登半島を襲った地震の甚大な影響とその光景に大きな衝撃を受けた作家による「現時点でのささやかなアクション」である。ネガとポジを反転させた珠洲市の風景からは、キュレーターのアレクサンドル・タルバが指摘するように、自然と人間の関係性の中で、歴史的瞬間を決定づける「技術」という概念に問いが投げかけられる。
作家について
1975年岐阜県生まれ。2000年に京都市立芸術大学大学院・美術研究科を修了。現在は京都を拠点に活動中。三宅はこれまで、さまざまな経緯で出会った既存の画像を、ネガポジ反転させて透明シートの上に描き、感光紙に重ねて露光することで、ドローイングの「影」を印画するというフォトグラムの手法に取り組んできた。近年はこうした制作を通して深めた思考を反映させた映像作品や、日光で感光させるサイアノタイプにも取り組んでいる。近年の個展に「Nowhere in Blue」WAITINGROOM(2023年、東京)、主な参加展覧会に「ゲバルト:制度の暴力に対する抵抗の変遷」東京日仏学院(2024年)、「アーバン山水β」kudan house(2023年、東京) などがある。作品は東京都現代美術館や兵庫県立美術館に収蔵されている。
山本 篤
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THE GHOST FROM THE CITY OF GHOSTS
2019-2023
Digital color video, with sound
8’48”ベトナムのフエ近郊に「City of Ghosts」と呼ばれる墓群がある。豪華絢爛なこれらの墓は城のようでもあり、外国人観光客を惹きつけている。山本はCity of Ghostsと同じように華美なアオザイを着た、貴族の幽霊を想像した。この幽霊は墓から抜け出し、都市の廃墟やひとけのない住宅街を彷徨い歩き、旧正月で賑わうフエの街へと辿り着き、再びその姿を賑やかな街へ同化させる。ときに周囲の環境に溶け込み、あるいは異質な存在にもなる幽霊の存在を、私たちの日常の体験と重ねることも可能だろう。山本は2018年に文化庁新進芸術家海外研修で、家族を連れてフエに渡った。日本での安定した日常サイクルから離れ、ベトナムでの新しい生活の中で、およそ50本もの映像作品を制作した。本作品はそのひとつである。翌年日本に帰国した山本は、平日は会社員として働き、週末に制作を行うという彼の日常へと再び帰っていった。
作家について
1980年東京都生まれ。多摩美術大学絵画学科卒業。2003年にベルリンへ渡り、映像制作を始める。2018年には文化庁新進芸術家海外研修でベトナム・フエに滞在。平日は会社員として働き、休日に撮影するスタイルを貫き、300本以上の作品を制作してきた。生きることの意味と無意味さを問う、社会派のフィクション、私的なドキュメンタリー、コント的な実験映像など、多彩な作品を発表している。
吉増剛造
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OH! MADEMOISELLE KINKA!
2021
Digital color video, with sound
5’33”吉増の映像プラクティス「gozoCiné」の一環として、映像と自然発生的な詩作、およびその朗読を組み合わせた作品。吉増は宮城県石巻市にあるホテルの窓の前でビデオカメラを構え、窓に直接書きつけた詩や、その向こうに横たわる金華山と周囲の海原を映し出す。さらに、ヴァレリー・アファナシエフによるピアノ演奏音源を背景に、松尾芭蕉の俳句やセザンヌのサント゠ヴィクトワール山の連作などに言及しつつ、様々な断片をコラージュのように辿る。言語の多様性を強調する吉増の詩は、固有の場所や意味を横断し、翻訳の限界に挑んでいる。
作家について
1939年東京都生まれ。慶應義塾大学在学中、詩誌『ドラムカン』で60年代の旗手として詩壇に登場して以来、日本を代表する現代詩人として、またマルチメディアアーティストとして、詩作とパフォーマンスに通ずる根源の回復と再興を探究する。他の書き手との交流や世界をめぐる旅行を通して得た、様々なことばや文学からの引用を頻繁に用いる吉増の詩は、自らの身体動作や音声、写真、そして映像記録と組み合わされ、新たな意味を生成する装置として、日本語を変容させる。
主な個展に「フットノート-吉増剛造による吉増剛造による吉増剛造」前橋文学館(2023年、群馬)、「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ)詩人 吉増剛造展」足利市立美術館(茨木);沖縄県立博物館・美術館;渋谷区立松濤美術館(東京)(2017–2018年)、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」東京国立近代美術館(2016年)など。主な参加国際展にマンチェスター・インターナショナル・フェスティバル(2021年)、Reborn-Art Festival(2019年、宮城県石巻市ほか)、シャルジャ・アート・ファンデーション(2018年)、札幌国際芸術祭(2017年)、サンパウロ・ビエンナーレ(1991年)などがある。
ミルジョーン・ルペルト
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THE BAROQUE IS A GEOMETRIC IMPOSITION UPON WILD NATURE, HISTORY AWAITS IMMANENCE, WESTERN TEMPORALITIES INCLINE TOWARDS A TRIPARTITE STRUCTURE
2023
Digital blackwhite video, no sound
3’56”回転する3つの頭を描いた線画アニメーション。参照されているのは、バロック期の画家ピーテル・パウル・ルーベンスが描いたメデューサ、19世紀フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンによる洗礼者ヨハネ、そして17世紀にカトリック教会によって禁じられ、しかしその後も植民地では広まったという「3つの顔を持つキリスト」のイメージである。これらが回り続ける様子は謎めいた問いかけのようでもあるが、作品名にある3つのフレーズ(「バロックは野生の自然に対する幾何学的な押し付けである」「歴史は内在をもつ」「西洋の時間性は三分割の構造に傾いている」の意)はそのヒントになるだろうか。なお本作はアーティストブック『An Operational Account of Western Spatio-Temporality(西洋の空間と時間に関する実用的な説明)』(2024)にも3冊のフリップブック(パラパラ漫画式の冊子)として収められている。
作家について
1971年、フィリピンのマニラ生まれ。現在はアメリカのロサンゼルスを拠点とする。歴史学、自然史、自然の本質など、自然と歴史をめぐる概念を問い直し、拡張させるアプローチの開発に関心を寄せながら活動している。
開催概要
開催概要
会場
三井住友銀行東館 1F アース・ガーデン/千代田区丸の内
(バス停:B1、F2)
会期
11月7日(木)–11月10日(日)
会場時間
10:00–18:00
料金
無料